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アポロ13号から始まった、モノづくり新常識「デジタルツイン」の過去と現在

Last Updated:
Aug 3, 2021

始まりは些細なミス

1998年に打ち上げられた火星探査機「マーズ・クライメイト・オービター」。大衆の期待を一身に受けて飛び立ちました。しかし10か月後、消息を立ちます。原因は設計段階での単位ミス。

ポンドとメートル単位のすり合わせを行っていなかった単純なコミュニケーション不足によって、国家規模のプロジェクト機を失ってしまいました。損失額は1.25億ドルにも及ぶとのこと。PDF資料、エクセルに代表される2Dドキュメントでのやり取りでは限界があることを示唆する、最たる事例として歴史に残り続けるでしょう。

さて、21世紀、私たちが携わるモノづくりの現場は、過去の大きな失敗を教訓にアップデートを続けています。2020年代以降、特に必要となる特徴が次の5点ほど挙げられます。

  1. 膨大なデータ量を含むデータに多人数が遅延なくアクセスできる「プラットフォーム性」
  2. 世界中の誰もがリアルタイムに制作に関与できる「同期性」
  3. 使い勝手の良い「高いユーザービリティ性」
  4. 3DCADデータを活用して立体的に設計物を確認できるだけでなく、AIによってバーチャル空間で実際にモノを動かしてみる「AIシミュレーション性」
  5. バーチャル世界での成果を即座に物理世界に反映する「リフレクション性」

モノづくりの世界では、上記5つの要素を含めた概念を「デジタルツイン」と称されています。物理世界の物体をそっくりそのままバーチャル世界で再現し、未来に起こるであろう事象を事前に検証。あらゆるリスクや可能性を擬似体験した上で、その結果を物理世界の製作・製造に反映する一連の考えを指します。

デジタルツインは、XR文脈で最も注目されているとも言えるでしょう。

元祖デジタルツイン

Image Credit by NASA

「デジタルツイン」という言葉は、2002年にNASAのJohn Vickers氏によって提唱されたという説があります。この概念提唱に至るきっかけとなったのが、アポロ計画でした。

冒頭で説明したように、NASAは90年代後半に大きな設計ミスを行っていますが、70年代にもアポロ13号で失敗を犯しています。整備士がたった1本のネジを閉め忘れたことから、酸素タンクが爆発し、少ない酸素濃度、電力、水で月から地球に帰還せざるを得なかった事態が発生してしまいました。

ただこの時は、NASAが地上で13号に似せたレプリカを迅速に作成し、お手製のレプリカを用いて帰還までの状況を高速でシミュレーション、的確な指示を出すことで事を納めました。

現場で発生する未来の状況をレプリカを通じて再現し、リスク判断や指示出しを行う「元祖デジタルツイン」とも呼べる事例が、アポロ13号の事件で起きていたのです。当時はインターネット創成期でサーバーも強くなく、多人数が同期的にデータへアクセスできる環境もありませんでした。全てマニュアルでシミュレーションから現場への反映までを行っていました。

そして現代、AWSを筆頭とする巨大サーバー施設の登場、高速インターネット社会の到来、AIの目まぐるしい発展によるビッグデータ解析により、誰もが手軽にバーチャル・レプリカを作成し、仮想空間上で予測シミュレーションをネット環境下で世界規模で行えるようになりつつあります。当時のアポロ担当者が求めていた、“真のデジタルツイン環境”がすぐ手元にまで来ています。この動向が顕著に反映されつつあるのがハードウェア、モノづくり領域です。

待たれる、次世代ハードウェア版Github

Image Credit by Wikifactory

コロナ禍、現場に立てなくなった世界中のハードウェア・エンジニアから、デジタルツインツールを求める声が著しく増えました。インターネット上で製図データ確認や、性能を全てシミュレーションし、最後の製造する段階だけを物理世界で行うプロセスが必要となった形です。

そこで登場したのが「Wikifactory」。同社は「ハードウェア版Github」を謳っており、何かしらのハードウェアを制作する際、3DCADデータ上にコメントを残したり、細かいバージョン管理が可能となっています。エンジニア同士が遠隔地にいる場合を想定した、コラボレーションツールとなっています。

同じく「ハードウェア版Github」を謳い、衛星や車両、工事機械の製造を得意とする「Valispace」も登場。あらゆるモノづくりの分野で、ソースコード管理のアプローチが採用されつつあります。

しかしながら、これだけでは従来現場感で行っていた製造コミュニケーションをバーチャルに置き換えただけ。確かにソフトウェアによって現場のやり取りをオンライン化したり、保存できるようになっただけでも高い提供価値を持ちますが、それだけではNASAの失敗事例にあったような重大な事故を引き起こしてしまうなどの将来リスクを排除できない課題が残ったままです。

そのため、WikifactoryやValispaceなどのサービスに次に実装される機能として、作成データを実際にその場で動かし、バーチャル空間でトレーニングさせたり、特定シチュエーションでどのような動作・反応をするのかをシミュレーションする機能が挙げられるでしょう。ハードウェア製造に関する大半の作業をバーチャル空間だけで行う体験が求められると考えます。

モノづくりはどう変わる?

Image Credit by Kelly Sikkema

ハードウェアSaaS領域の“次の領域”として期待されるのは、AIによる事前予測を活かしたシミュレーション性であることを述べましたが、この機能は私たちが望む未来の前提に過ぎません。

冒頭で紹介した、「プラットフォーム」「同期」「ユーザービリティ」「AIシミュレーション」「リフレクション」、5つの要素を含んだ未来の到来が待たれます。たとえば次のような未来シナリオです。

「CADデータの扱いや、複雑なソフトフェアの操作方法を知らない、小学生や中学生の若い人。彼らは何かしらの障害を持っていてインターネット端末へアクセスできない人たちがモノを作りたいと考えている。声や指先の動作だけでバーチャル上に仮想的に構造物を制作し、実際に仮想世界で操作できるようなサービスが普及した未来。そのサービス空間では、複数人のユーザーがリアルタイムに参加でき、一切の遅延もなく、ダイナミックな制作が可能。バーチャル世界の完成物は、物理世界に反映される。」

ちょっとした工作からDIY、宇宙船や工業機械製造に至るまで、あらゆる分野がデジタルツインの概念によって高速かつ正確にモノづくられる世界の実現。この未来の機運はすでにVRサービス等で感じられます。

私たちは未来シナリオで述べた、「デジタルツインな未来」の到来をすでに体験しています。

実際、Googleが開発したVRスケッチサービス「Tilt Brush」では、直感的に3D作品の創作を可能としました。クリック動作に代わる、直感的な空間タッチ動作だけで、素晴らしいアート作品を描写できます。長らく破られてこなかった「マウス」と「キーボード」のインタフェースを垣間見ることができます。何よりVRスケッチのUIは、年代や国籍、言語を問わず操作できます。この点はシナリオの起点ともなり得ます。

また、同じくVRサービスの「Arkio」においては、建造物や都市開発の設計を多人数で体験できます。ビルや都市景観物をVR空間上で自由に複製、あっという間にユーザーが描く都市空間を構築できるサービス。

多人数でワールドに入り、さまざまな角度・縮尺から確認してフィードバックできるコラボレーション・プラットフォームでもあります。こうしたバーチャル構築物から物理世界の未来像をシミュレーションする体験は、高いユーザービリティ性をもとにすでに実現されています。あとはAIにより、バーチャル都市にどのような災害リスクがあったり、人口が増えるとどのような交通障害が発生するかなどを事前予測できれば、物理世界にリスクヘッジ情報を返すことができるようになり、立派なデジタルツイン・サービスとして確立できます。

次世代グラス時代には、ここまで紹介したVRサービスのアプローチをもとに、よりシームレスに自宅やオフィスでのモノづくり体験がアップデートされると考えられます。

たとえば「ClipDrop」が開発するサービスのように、物理世界に存在する物体をコピーアンドペーストする感覚でバーチャル世界に反映。3D CADデータを0から作る必要もなく、既存の物体データをベースに新しいモノを作り上げる体験が可能に。バーチャルデータが用意できれば、VR空間でも、MRグラス越しに見える物理世界のどちらにおいても、AIシミュレーションから物理世界のフィードバックを含んだサービスが登場すると考えています。

モノづくりの敷居は圧倒的に下がり、誰もが触れられるものに。一方、AIを活用することで、より一層高度なユースケースを検証することもできるように。

未来シナリオにおいて、モノづくりは複雑化・多機能化するのではなく、よりシンプルなもので使いやすい方向性へ向かうでしょう。その全ての土台となすのがデジタルツインの概念であり、宇宙開発の失敗を通じて私たちが獲得した教訓の上に立っています。

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